2019年12月31日火曜日

家の一寸したバリアフリー化やらDIYの記録。

ベッドサイドに座り込む為に一寸捕まるところが欲しいと。
イレクター?スペーシア?樹脂コート鉄パイプで。ベッド宮付近ともう一カ所。

ここを落ちたんだから死んで居ても不思議では無く。
当初は真ん中辺?とか言って居たけど、
一番上から落ちた傍証を発見したけどね。

左は家を建てたときから付いていた手すり。
右は今回自分で設置した手すり。

〇〇〇ハウチュさんの手すり。

自分で取り付けた手すり。

〇〇〇ハウチュさんの手すりは1階の段鼻で90cm!!

〇〇〇ハウチュさんの手すり2FLの段鼻では95cm!!どういうこと??
こんなに高いところに付けてるから嫁はんはとっさに捕まる事も出来ず
落ちたのでは? まあ天下の〇〇〇ハウチュさんだからよもや。www

私は上から下まで74cmで取り付けしました。



そうすると・・階段壁笠木と角度が合わない。笑!

上に向かって口が開きます!!
反対側の手すり同様上から下まで段鼻と同じ角度で無いと。

浴室にも暫定的な補助手すりを追加。

そう言えば・・
元々の手すりは設計図書ではステンレスに樹脂コート。
だけど付いていたのは鉄パイプで錆びて爆裂。
〇〇〇ハウチュさんの仕事は懇切丁寧だから・・・
まともにフォーローもしてくれ無かったな。
自力で適応品を探すのは結構苦労したなそう言えば・・

洗い場の腰掛けから浴槽に移動する為のターンテーブルは
お義母さんの残してくれたもの。
脚の長さがどう調整しても合わないのでHIVP異径ソケットで対応。


繰り返すがオシャレなのかも知れないしデッドスペースも少ないのかも知れないが
とっさにつかみにくい断面形状の手すり。そして論外な設置高さ。
何をやらせてもとんちんかんな〇〇〇ハウチュさん。
今回も手すりと浴室でアホみたいな見積もりを持ってきた。

私も左肘の手術をして暫く樹脂製のアンダーカウルを装着して
シーネで吊って居たけど・・
今回の嫁はん。両腕手首はチタンプレート!!
で、コルセットはまあまあのゴツさ!!
早く良くなれ嫁はん!

来年は良い歳で合って欲しいわ!!

ハーベストの丘は一足早く2020!!


ハーベストの丘に行ってきた。
・・と言っても車で出かけてエントランス前の売店で買い物をして帰って来ただけ。

嫁はん退院の翌日12/27。 年末でもあるし細々と買い物。
そして嫁はんがコルセットの上に着る為の期間限定服の調達。

そのついでにハーベストの丘へ。

2020・謹賀新年の撮影用の掲示が、もう完了!

良い歳になって欲しいわ。


兄貴。


兄弟なんてそんなものかも知れないけどすっかり疎遠な兄貴。

嫁はんのお袋さんが亡くなったときや、今回嫁はんが大けがで入院でも
わざわざ来てくれた。
我が儘放題のクソババアを連れて!w (我が母親ながらもう・・)

兄貴は「彫刻家」と。おお!カッコいいぞ!
俺はしがない「自宅警備員」なのに。

親父は天才肌の職人だった。
天才過ぎて俺はその仕事を継ぐなんて事は不可能と小さい頃から悟っていた。
兄貴は天才肌の親父の血を見事に引いていたが、
生憎と俺は凡庸な母親の血をしっかり引いていた。
親父とお袋の良いとこ取りをしたのが兄貴で
悪いところ取りというか残り滓が俺。

新聞に載るとか犯罪か事故でも起さない限り中々難しいよねえ。



嫁はんの入院期間32日。お見舞い皆勤賞!一日だけ歩いて行った。

バイクはおろか、ウォーキングも出来ないで居たので
全身の不調&痛みに加えて、ストレスを酒以外では発散できない!

正確にはもう酒では何も発散できないけど・・

一度だけ気分転換に歩いて病院まで往復。
年明けから春まで、梅を観に荒山公園に行くコースと
途中まで基本同じ。

陶器に有るこんもりとした森?小山?
随分前に近づこうとしたけど民家に阻まれて
アプローチ出来なかった記憶が有るが。

ふと覗き込むと・・屋や!?城だったのか?



仮囲いは何だろう?

遺跡発掘調査や!! こりゃ今後が楽しみ!

流石は歴史の古い辺り。須恵器のふるさと。色々有る様だなあ。

移転した東陶器小学校。どうなるんやろう?と思って居たが、
取り敢えず見事に更地にはなっていた。


2019年の大晦日。 平成元年に嫁はんを貰い、30年。令和元年が終わる。

酷い1年が終わろうとしている。

6年間以上結局何の効果も無かった漢方薬治療。
そして今年は大いに期待したが・・
  (まあ正直言って、SNRIと聞いて嫌な予感は・・)
サインバルタは効かなかった。

いや。効いたとしても所詮は世捨て人の引き籠もり中年(初老人?)
結局根本的な解決には成らず。
破綻が前倒しになるか先送りになるかどうかの差だったか?

ポンコツながらもバイクにはそこそこ乗っていた昨年まで。

昨年。
車        2401km
NC700X   3764km
AX-1     1514.2km
バイク合計5278.2km 車とバイクで7679.2km

今年。
車        2743km
NC700X   1576km
AX-1     909.8km
バイク合計2485.8km 車とバイクで5228.8km

バイクは半分以下やった。酷いわ。

嫁はんアクシデントから入院~退院。ボチボチ歩いてのリハビリ。
自分の足指や腰の激痛は一旦横に置いているので、
悲惨この上無い。痛くて泣けるわ。
来年バイクは乗れるのか?
好きな様に乗って厭離穢土欣求浄土!となりますか?


 

2019年12月13日金曜日

ちゃりんこ計画は頓挫やねぇ。



バイクにまあまあ納得して走る事が出来るのも・・
あと何年だろうと、思い始めたのは最初は40代になったときだったろうか?
50を越えていよいよ現実味を帯びる悩みになってきた。

もうバイクは降りて車に折りたたみのちゃりんこでも積んで
出かける様にしようかな?
なんて、考えも。

ただそれにも問題は有り、
教え方が悪かったのか、嫁はんは外装の変速機のチャリは拒絶!

アカンとあれほど言っていたのに、ペダルが重くなってから
変速しながら思い切り踏み込んでチェーンがスプロケットを上滑り
勢い余ってコケてから、私はママチャリで良いと。

それから20云年。
内装3段出来れば7段の折りちゃり。
お値段がねえ~~とか思いながら何となく探して居たのだけども・・

大けがから快復しても、ちゃりんこはリスキー過ぎるなぁ。


チャリンコと言えば・・
24インチとかの子供チャリンコでは無く、
26インチの最初はカワムラサイクルのフラッシャー付きやった。

中坊になってそいつをバラバラにバラしてフレームを塗装。
5段だった変速を前2枚にして10段。
日東のドロップハンドルやら付けてスポーツサイクル風にして
10代半ばまで乗っていたな。

15で学校の寮に持ち込んで、そのうち寮生のシマヤダッシュの脚になり、
その後は知らん。

MTB当時は未だATBとか呼んでいたか?
夫婦で買ったり、その後超コンパクトサイクルを買ったりもしたっけ。

どうなるんだろうねえ。

2019年12月12日木曜日

今年も残りが少なくなってきたな。



紅葉狩りウォークも
紅葉狩りツーリングも
ほんでもってカニツアーも
皆キャンセルや。

さいんばるた先生は腰痛には結局何の効果も無かったなぁ。
一年間無駄に。 ひたすら疼痛&時には激痛に耐えて終わりそうな一年。

嫁はんが大けがをして。
その瞬間は、ああ!死ぬんじゃないか!?
あー嫁はんが終わるって言う事は俺も店じまいやん。
あっけなかったなあ~~~とか思ったんやけど。

幸いにしてそうはならんかった。

省エネ運転ながらも家事全般。
洗濯物を持って毎日お見舞い。

もう永いこと痛みを「おみまいされて」。
週に一度、買い出しドライバー
そして、嫁はんのウォーキングのお供
それ以外は家の内外の作業少々で、
あとは元気が有ればバイクに少々。
それ以外の殆どはソファや居間の床で、
涅槃像スタイルなポンコツライフ。

生活が激変過ぎて体も心もボロボロで御座る。

嫁はんの家事を見て、うーむ。そんなにヤルコト有りますか~?
とか、思って居たけど・・・
「努力&忍耐&ひたすら前向き」な嫁はんと、
「努力はしない、耐えもしない、後ろを振り向いたまま」
そして嘗て「石橋をたたき落とす奴!」と言われたが、
実は石橋に近づきすらしない奴!」だったポンコツなおっさんとは
ライフスタイルの違いかな~?

なーんて。家事はやってもやってもエンドレス。
割り切らないと一日24時間でも足らん・・と、思い知らされた。
その他諸々も思い知ったな。

あー。何もかも嫁はんに押しつけていたんだなと。
30年間も・・
有る部分はウスウス承知の確信犯やったが。
初めて解った部分も有りやなあ。

まあ、今は兎も角、快復して退院。
そして元の生活に戻るところまではポンコツも頑張ろう。

が、先が見えた。
ポンコツ化が進んでフェードアウトはしたくない。

永く連れ添って最後まで面倒をみる気が無いのを見透かされて、
そのような疑似体験を前もって強いられたと都合良く考えれば、
ポンコツ野郎の任が解かれる日も近い?
ならば・・   とかねえ。